image気仙沼に復興コンサートをしに参りました。

救急救命医の父が 大震災以降四年半に渡り 毎月伺っていたのが気仙沼です。

今回は
被災地に新しくできた田んぼで稲を刈り、
地元の方とバレーボール大会をし、
被災地で実際に使われたヘリコプターを上陸させてもらい、
その後ホールに移動し
私のコンサートを聴くという盛り沢山のイベントでした。

コンサート前に
消防士で当時の現場を取り仕切り、今回の主催もなさっていた 佐藤誠悦さんが、当時の写真をもとに 被害を説明して下さいました。
奥様を震災で亡くされながらも、救助に力を尽くされた佐藤さんの 心の傷を垣間見て、皆が涙しました。
そして 沢山の方が 大切な人を亡くされ、その傷と共に今を生きている事を感じました。

コンサートで気をつけた事は
「かわいそうと思わない事」そして
「偽善にならない事」でした。
人前で歌を歌うという事は 自己満足や 上から目線になってしまいがちです。
皆様の為のコンサートだという事を意識し、難しい曲を極力取り込まず、

傷ついたり迷ったりしながらみんな生きている そんな感情を皆で歌い共有して
今を生きる活力に持っていけるようにプログラムを構成しました。

コンサートを聴いていた地元の小学生が
昨日までは「バレーボール選手になる」といっていたのに今日からは
「オペラ歌手になる。まずはドレス買って」と言っていたと お父様から伺いました。

「子供は素直だから 心を動かされたら すぐ なりたい と言う 」とお父様が仰っていて、
少しでも楽しんで頂けたのだと嬉しかったです。

ボランティアに協力してくれ、私の家族と一緒に被災地まわりも付き合ってくれた ピアニストの四條智恵ちゃん ありがとうございました。

被災から4年半たったけど、あの日の事を抱えながら皆が生きている。
そして復興もまだまだ必要な平地が海沿いには永遠と広がっている。
深い深い傷跡を感じました。

父がお世話になっている 現地の人何人かとお話しましたが、
「あの時は大変じゃったね。二宮先生には助けて貰って」と皆が口を揃えて仰っていて、気仙沼の方達は戦友のようなもので それを家族にも見せたかったのだな と 少し父の気持ちがわかりました。

震災当時 私がイタリアにいた音楽家達とイタリア各地でチャリティーコンサートをし、集めたお金を寄付した 小原木小学校にも伺いましたが、もうすぐ廃校になるそうです。

残念ですね。

隣接していた仮説住宅にお住まいの方からお茶とお菓子をご馳走になり、変わりに歌を歌うという事もしたり、
父の知り合いのおばあちゃんに朝採れたほたてを頂いたり、
素敵な出会いに感謝です。

佐藤誠悦さん
そして 気仙沼の皆様 ありがとうございました。

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