コラム「イタリア短期留学」
イタリアへ初めていったのは、20歳の2月でした。大学が休みの時を利用して、フィレンツエに1ヶ月語学留学をしました。
親元を長く離れるのは初めてで、イタリアの飛行場まで語学学校の方に迎えにきて頂いて、ホームステイ先まで送り届けて頂きました。
ホームステイ先には何人か他の外国人の生徒さんもいて、学校まで一緒にいく事になったのですが、学校にいくまでの長い道のりや夕食時などは、元々恥ずかしがり屋の性格が出てしまい、何を話していいか戸惑った思い出があります。
印象に残っているのは、ある日サッカーのヨーロッパ、チャンピオンズリーグの試合がローマであって、人気の試合でチケットがとれなかったので、ローマのサッカー場までいき、サッカー場で、チケット下さいと叫びました。
するとちょうど、通りかかった人が余っていたという券を20ユーロ(本来の値段よりも安く)譲ってくれました。ローマ対バルセロナで結局ローマが勝ち、試合の後は、バスも道路もみんなクラクションを鳴らして大騒ぎ。まるで町中が喜んでいるようで、とても楽しかったです。
イタリア語をどうやって勉強したかとよく聞かれるのですが、チケットがどうしても欲しかった時のように、何か目的があると、恥ずかしさなど感じている余裕がなく喋れると思います。
この留学の際に、歌のレッスンにも通いましたが、イタリアの家はみな、天井が高く、石作りなので、歌うと声がすごく響いてうまくなったような気になりました。オペラというのはこういう環境の中で生まれたんだなと思い、いずれイタリアできちんと勉強したいと思うようになりました。
その年の夏、今度はリミニという街に1ヶ月、勉強にいきました。当時通っていた、九段下のイタリア文化会館でパンフレットを見つけ、「朝から毎日3時間語学のレッスンがあり、午後1時間歌のレッスンがあり、週末はコンサートに出演させて頂け、最後にはマスタークラスがある」という学校をみつけ、沢山勉強できそうだと思い、行く事に決めました。
ところが、リミニという街についてみると、辺り一面が海。
歩く人も海パンにTシャツで、騒音が続く、リゾート地でした。
語学学校が終わると、歌のレッスンのない子はみんな浜辺で待ち合わせ。夜も早朝の4時ぐらいまで、騒音が絶えず、先生も一緒に浜辺で飲むといった感じで、思いがけずイタリアのヴァカンスを満喫できました。
なお、リミニに行く前に一人旅で立ち寄ったヴェローナという街が好きになり、将来留学するなら、あんな所に住みたいと思いました。
3度目の短期留学は、2009年夏にチェルボという街のマスタークラスに行きました。ニースに近い、海辺のとてもかわいい街です。ドイツのケルン音楽大学の教授のレッスンが2週間程ありましたが、ルームシェアした4人の生徒のうち、私以外がドイツ人でした。
急な丘の小道が続く街で、広場にでると、海がみえ、まるでジブリの世界でとても綺麗な景色でした。