コラム「パルマ国立音楽院」

パルマの国立音楽院に入学するために、ヴェローナからパルマに引っ越しをしました。

元々、新しい環境に慣れるのに時間がかかるため、パルマに引っ越してからは不安で1週間ぐらい泣いていました。ほどなくして、楽しすぎる毎日が待っているのですが・・・。

パルマは生ハム、パルメザンチーズなどで有名で、食べ物がとても美味しかったです。

また毎年秋はヴェルデイフェスティバルが開催され、有名な歌手がパルマ劇場にヴェルデイの演目を歌いにいらっしゃって、私は毎公演、足を運んでいました。

家も色々引っ越しをしましたが、とても有名なピアニストのおじいちゃんの住む家に2年程住んだ事があります。その方は、ホセカレーラス、テバルデイなど大勢の有名な歌手の伴奏をした方で、クラウデイオ アバドがミラノの指揮科で同級生だったとよく思い出話をして下さいました。もう80歳にもなるにもかかわらず、毎朝10時に必ずピアノの音階練習をはじめるので、私はそのピアノの音を目覚ましがわりに起きていました。

また、料理好きのイタリア人のピアニストとルームシェアをした時には、毎日一緒にご飯を作っていました。ピアニストでは食べていけないので、コックになりたいとその友人は言っていて、毎日電話で親と喧嘩をしていました。2011年の年末に、私が3週間ロンドンに行って、帰ってくると、その友達が荷物を引き払って消えていました。親が迎えに来てプーリア地方の実家に連れ戻されたそうです。その後、夢を諦めず、今はドイツでコックをやっていると連絡が来て、とても嬉しかったです。

その他にも、バイオリンを作っているイタリア人の女の子と、ルームシェアした時もありました。
音楽院は10人の声楽の先生がいらっしゃいました。ヴェローナの3人と比べるととても大きく、生徒も声楽だけで150人程、ほとんどが東洋人でした。
東洋人は国の大学を卒業してから留学する人が多く、レベルも高くなります。プロとして世界で活躍していきたいと思う人がほとんどで、いろんな生徒さんのレッスンを観にいって学んだ事が沢山ありました。韓国人や中国人の友達とパーテイをして、故郷の料理を作ってもらう事もありました。
オーディションを受けてオペラにも出させて頂きました。オペラになると反対に西洋人が演技が上手でしたので、イタリア人の生徒さんからも沢山の事を学びました。オーケストラと共演させて頂く事もあって、オーケストラの方も色々とアドバイスを頂きました。

 

又、日本で地震が起こった際には、音楽院にいる日本人の生徒15名程で何かできないかと考え、絆というグループを結成しました。10回程パルマ近郊でコンサートを行い、その寄付金を気仙沼の小学校や、赤十字に寄付をしました。一部の生徒が先日気仙沼の小学校にもコンサートをしに行き交流を持ったり、今でも絆のコンサートは新しくパルマの音楽院に入学した日本人の生徒さん達を加え、続けられています。海外に住む事で、日本人としての責任、誇りなどを強く意識するようになりました。

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