コラム「ヴェローナ国立音楽院」
1年半程プライベートレッスンだけの生活を続けていたのですが、イタリア語にも慣れ語学学校に行く必要もなくなり、少し物足りなさも出て来たので、ヴェローナの国立音楽院の入試を受ける事にしました。
試験三日前に音楽院の先生の電話番号を手に入れ、レッスンにいくと、受付の際言われた受験の際必要な曲目が違っていると言われました。受験の曲目はインターネットで確認できるらしいのですが、大変複雑なサイトで、素人の人がみたら、どこに曲目が書いてあるのか発見する事はとても難しいです。3日前に曲目を変更するにも、楽譜を手にいれるのがとても大変でした。
試験の日も何時に始まるかわからずにとても待たされたり、急にソルフェージュの試験をやらされたり、合格してからも、手続きをするための電話をすると言われていたので電話を待っていたら、忘れられて、もう授業が始まっているのに入学していないという事件もおきました。ちなみに、合格していても点数が順位順に張り出されて、卒業者のポストが空いた人数だけ入学できるので、2ヶ月ぐらい入学できるかずっとドキドキしていました。
しかし、それはイタリアでは結構普通に起きる事で、入学してからも、自分でとらなければいけない授業は自分で先生の所に挨拶にいき、授業時間を調整するという感じでしたので、
初めの頃は毎日守衛さんに、先生方が何曜日にどこの部屋に来るかきき、探し回るという日々が続きました。
授業は少人数生で、オペラ史などは、先生と、イタリア人の女の子と私の3人で授業が行われました。毎回質問に答えなければならず、さらに試験では、40分くらいの口頭試問なので、語学力は音楽院に入ってからかなり鍛えられました。
授業を録音しておいて、ノートに書き写す、先生のおっしゃった事を繰り返して言う、といった勉強方法が有効的でしたが、試験前はお腹が痛くなってテストに行きたくないと思う日々が続きました。
勇気を持って「私は分からないから教えてくれ」と先生の所に頻繁に行くようにすると、まめに教えてくれ、試験も好意的に行ってくれたように思います。イタリアではわかる時もわからない時も常に自己主張する事が求められました。
ヴェローナの音楽院は、日本人の生徒が私を入れて3人程で、交流もあまりなかったので、日常生活ではほとんど日本語を使いませんでした。(これがパルマの音楽院に入ると沢山の日本人とお友達になりますが)
コンサートで歌うために車で他の町にいく事も多く、ある時は、農場のような場所でコンサートをやる前に
ロバと写真をとろうとしたら、足をかまれておおあざができるというような事件もおきました。
ある休日に、ロンコレという村のgiuseppe verdiの生まれた家を観光しにいった時に、生家を案内してくれたおばあさんと知り合いになりました。その時に、私が歌を勉強している事などを話すと、パルマの音楽院にいくといい。と教え
て下さいました。パルマの音楽院は声楽が有名でとても大きい音楽院です。ちょうどその時にヴェローナの先生に疑問をもっていた時期だったので、翌年からはパルマの音楽院に入学する事に決めました。